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開国に貢献したヒロインの供養祭「お吉祭り」 下田芸者が花を手向ける

お吉の冥福を祈る下田芸者たち

お吉の冥福を祈る下田芸者たち

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 さまざまな小説や舞台のモチーフとなり、幕末の悲劇のヒロインとして知られる「お吉(きち)」の134回忌供養祭が3月27日、お吉が淵(下田市河内)と宝福寺(一丁目)で行われた。

お吉が淵に鶴松とお吉に見立てた2匹のコイを放流した(関連写真5枚)

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 お吉こと斎藤きちは1841年愛知県知多半島に生まれ、幼少期に下田に移り住んだ。下田に入港する船の船頭たちの洗濯女として働いていたが、16歳のとき下田奉行の計らいで、玉泉寺に滞在していた米国総領事ハリスに仕えた。

 その後、当時は異人と恐れられていた外国人と関わりを持ったという偏見から仕事を失い生活は困窮。女髪結いや小料理屋を営んだものの苦しい生活が続き、酒に溺れる日々からついには破産。1891(明治24)年3月27日、現在のお吉が淵に身を投げ51年の生涯を閉じ、引き取り手のない亡骸は宝福寺に葬られた。

 その波乱に満ちた人生は、1928(昭和3)年に十一谷義三郎が発表した小説「唐人お吉」を皮切りに、さまざまな歌や舞台のモチーフとなり、世間に広く知られることとなった。最近ではサザンオールスターズの楽曲「唐人物語(ラシャメンのうた)」でも歌われている。

 この日のお吉が淵の法要では、僧侶による読経の後、下田芸者が切り花を投げ入れ、恋仲だった鶴松とお吉に見立てた2匹のニシキゴイを放流。その後は宝福寺へ場所を移し、坂東玉三郎さんや島津亜矢さんら芸能関係者から贈られた供花と共に、お吉の墓前に花を捧げて冥福を祈った。

 例年3月27日は「お吉の涙雨」と称されるほど雨模様となることが多いが、今年は晴天に恵まれた。宝福寺の竹岡宏子さんは「みんながお吉を思う気持ちが通じ、天気に恵まれた。下田を支え続ける存在として、決して忘れてはならない」とお吉をしのぶ。「芸妓(げいぎ)という伝統芸能をこれからも継承し、多くの方に下田の歴史に触れてほしい」とも。

 法要が終わった後、下田市民文化会館(四丁目)でお吉の舞などの芸能大会が催され、供養祭を締めくくった。

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