幕末開国史のヒロイン・お吉(きち)の供養祭である「お吉祭り」が3月27日、お吉が淵(下田市河内)と宝福寺(一丁目)の2カ所で行われた。下田芸者によるコイの放流や法要が行われた後、市民文化会館(一丁目)では芸能大会も行われ、観客たちの目を楽しませた。
お吉(本名=斉藤きち)は1841年に愛知県知多郡に生まれ、幼少のころ、家族と共に下田に移り住んだ。14歳になる頃から芸妓(げいぎ)としての修業を積み、その美貌と唄の才能から「新内明烏(しんないあけがらす)」と呼ばれるほど評判になった。それが奉行所の目に止まり、17歳で当時下田に滞在していたアメリカ総領事ハリスに仕えることになる。
お吉は外国人に仕えたために「唐人」と呼ばれ差別と貧困に苦しみながらも、髪結店や小料理屋を起業するなど奮闘。しかし1891(明治24)年、川に身を投げ自ら命を断った。享年51歳だった。亡骸は宝福寺に引き取られ、当時の住職により手厚く葬られた。
お吉の波乱に満ちた人生は、昭和初期に小説が出版されたことを皮切りに、さまざまな文学作品や舞台・映画を通じて多くの人に知られることとなり、現在は芸能関係者たちから新しい墓石も寄付され、お吉ファンや芸能関係者が全国からお参りに訪れている。
この日のお吉が淵の法要では、お吉の後輩となる下田芸者たちが、お吉と恋人鶴松に見立てた2匹のニシキゴイを放流した。さらに法要後の芸能大会ではお吉の舞も披露した。
例年お吉祭りは雨天が多く、地元では「お吉の涙雨」と称されるが、今年は曇りにとどまり、全てのスケジュールが滞りなく行われた。下田市観光協会の立見絹代さんは「コロナ禍も終息に近づく中で、以前の祭典内容に徐々に戻っていく様子を、お吉さんも空からうれしく見守ってくれていると思う」と話す。