河津町の南禅寺(なぜんじ)に代々伝わる木彫仏像群が国重要文化財に指定される見込みとなったことを受けて7月19日、その魅力を町民にも知ってもらおうと、同寺に隣接する「伊豆ならんだの里 河津平安の仏像展示館」(河津町谷津)で勉強会が開かれた。
上原美術館・田島整さんからの説明を聞く参加者たち(関連画像10枚)
主催したのは河津町議会事務局。議員の勉強会として開く月例会に、町民にも参加を呼びかけたところ、町会議員10人に加えて一般町民14人が参加した。講師には上原美術館(下田市)の上席学芸員・田島整さんを招き、南禅寺の歴史やそれぞれの仏像に関する学びを深めた。
南禅寺には仏像19体、神像7体の計26体の仏像群が残されている。伝承によると、かつては那蘭陀寺(ならんだじ)という七堂伽藍(しちどうがらん)と呼ばれる建物を備えた大きな寺があったが、1432年に大規模な山崩れによって仏像もろとも埋没。現在残っている仏像群は、その災害の後、土中から掘り出されたものと伝えられている。
腕や足のパーツだけが残っているものもあり「大災害の後で全ての仏像は回収できなかったはず。今あるのはごく一部」と田島さんは話す。南禅寺周辺には「弥勒」「大門」「仏谷」といった地名が残っており、今でも南禅寺付近を掘ると、古い器の欠片が出てくるという。「本堂の下には、昔の寺が埋まっているかもしれない」と田島さん。
本尊の薬師如来坐像、天部立像など、残されている仏像の多くは9世紀から10世紀にかけての平安時代と12世紀に造られたものと推定される。特に、地蔵菩薩立像は東海地方最古の地蔵像としても貴重なものだという。十一面観音菩薩立像は、さらに遡って奈良時代の作ともいわれている。奈良時代に木で造られた仏像は東日本にはないという。
なぜこれほどの数の仏像が当時の河津で造られたのかについて、田島さんは「9世紀後半から10世紀にかけて、伊豆諸島では大規模な噴火が続いていた。神津島の噴火の音が京の都にまで聞こえた、という記録もある。自然の怒りを鎮めるために、中央政府の命令で一流の仏師が河津に集められたのだと考えている。火山活動は12世紀に再開しており、像が造られた時期とぴったり一致する」と考察する。
会場となった展示館は、これら貴重な仏像群を後世に伝えるため、2013(平成25)年に那蘭陀寺の名を冠して開館したもの。地元住民たちが管理している。
重要文化財への指定手続きとしては、今年3月15日に国の文化審議会が文部科学大臣に答申し、後は官報の告示を待つのみ。重要文化財となれば、伊豆南部では1912年以来、100年以上ぶりの快挙。南禅寺の26体という数は伊豆全域の重要文化財より多い。
参加者からは「河津に住んでいたけど、こんな貴重なものがあるなんて知らなかった」「仏様だけでなく神様もいるのが面白い」などの感想が聞かれた。
田島さんは「鎌倉や奥州平泉でなく、伊豆の河津にこんな貴重な像があることを誇りに思ってほしい」と強調した。