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知られざる「下田空襲」の悲劇語り継ぐ 子育て支援団体が伝承活動

荒井福美さん(右から2番目)と「遊・VIVA!ネットワーク」伝承チーム

荒井福美さん(右から2番目)と「遊・VIVA!ネットワーク」伝承チーム

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 下田市で親子の居場所作りに取り組む「遊・VIVA!(あそびば)ネットワーク」が9月1日、下田空襲の記憶を次の世代に伝えようと下田市地域子育て支援センター(下田市敷根)で伝承活動を行い、16組の親子が78年前に起きた悲劇に耳を傾けた。

手作りの年表で分かりやすく説明する荒井福美さん

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 太平洋戦争終結直前の1945(昭和20)年4月から終戦の8月15日までに下田は8回もの空襲を受け、多くの人たちが犠牲になった。しかし、この空襲について知る人は下田でもほとんどいない。

 伝承活動のきっかけは昨年、市内で塾を経営している荒井福美さんが教え子から「大学の卒業制作で下田空襲について調べたいので、知っている人を紹介してほしい」と協力を求められたことだった。それを受けて荒井さんは自身の母親を紹介してインタビューに同行したが、「娘である自分でも知らない」下田空襲の話に驚き、「この話は多くの人に聞いてほしい」と強く思うようになった。その後、3人の空襲体験者の話をまとめ、所属する「遊・VIVA!ネットワーク」の仲間たちと伝承活動を始めた。

 これまで下田の小中学校で活動してきたが、子育て支援センターでの伝承活動は今回が初めて。小さな子を持つ若い父母たちにも下田の空襲のことを知ってほしいと企画した。

 会では、空襲体験者の一人である山下冨美子さんの体験談が読み上げられた。山下さんは15歳のときに下田空襲で家族を失った。自身は学校にいて助かったが、母・弟・叔父が爆撃によって家もろとも吹き飛んだという。体験談には、がれきとなった町や避難していく人々の様子、家族の遺体との対面、手を差し伸べてくれた人のありがたみなどがつづられていた。

 「大変な時代を生き抜いてくれた人たちがいたから、今の私たちにつながり、平和な『いつもの毎日』が過ごせる。このような出来事を知り学ぶことは、未来で間違えないために必要」と荒井さんは話す。

 幼い娘と参加した女性は「この小さな町に空襲があったことを初めて知った。今の子どもとの生活が当たり前ではなく、ありがたいものだと感じた」と話していた。

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